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高松地方裁判所丸亀支部 昭和31年(ワ)32号 判決

原告 前川八重子 外三名

被告 吉田石油株式会社

主文

被告は原告八重子に対し金二万円、同昌子、同英子、同洋子に対し各々金四万円及び夫々について昭和三一年一一月三日以降その支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は五分し、その一を被告のその余を原告等の各自平等負担とする。

この判決中原告勝訴の部分は原告八重子において金五千円、その余の原告において各一万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告八重子に対し金三〇〇、〇〇〇円同昌子に対し金二〇〇、〇〇〇円、同英子に対し金二〇〇、〇〇〇円、同洋子に対し金二〇〇、〇〇〇円及び夫々について昭和三一年一一月三日よりその支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告の負担とする」との判決並に担保を条件とする仮執行の宣言を求め、

その請求原因として、

一、訴外亡前川忠臣は昭和三〇年三月一五日午前二時頃当時勤務していた株式会社丸三屋の本店所在地である坂出市から所要を終え自動軽二輪車を運転して同会社善通寺営業所への帰途善通寺市稲木町自動車修理業亀山嘉博方前道路上に放置してあつた被告会社所有の貨物自動車香一-二一八〇号に衝突して即死した。

二、ところで右貨物自動車は故障のため被告会社の自動車運転手である真田秀夫が修理方を前記亀山嘉博に依頼した処直ぐには修理ができないことが分つたが、この様な場合には右自動車を空地に入れるなり、或は道路上に駐車したまゝでおくとすれば、その前後に危険標識を施すなりして、事故の発生を未然に防止すべき注意義務あるのに右自動車を右亀山工場空地に入車せず前述のように道路上に昭和三〇年三月一四日午後三時頃から同月一五日午前二時頃まで夜間点燈及び危険標識も施さずに放置していたものであるから被告会社は前記真田の右過失について使用者として民法第七一五条に基き損害賠償責任を負わなければならない。

三、そこでその損害賠償額については前記忠臣は死亡当時三一才であつて経費を差引き農業純収益年三〇、〇〇〇円、給料純収入年五四、〇〇〇円(月四、五〇〇円)計八四、〇〇〇円であつたから統計表により三七、〇五年は生きるものとして五五才まで二四年間の得べかりし利益をホフマン式計算法により計算すれば一、三五七、七八八円となる。

四、原告八重子は右前川忠臣の妻であり原告昌子はその長女、英子はその次女、洋子はその三女であるから相続により、原告八重子はその三分の一をその他の原告三名はその三分の二を承継したことになり、更に原告等の蒙つた精神的苦痛に対する慰藉料としては原告八重子は金二〇〇、〇〇〇円を、原告昌子、英子、洋子はそれぞれ金一〇〇、〇〇〇円を相当とする。

よつて原告八重子は右慰藉料二〇〇、〇〇〇円並びに右相続財産請求金の内金一〇〇、〇〇〇円、合計金三〇〇、〇〇〇円を、その他の原告三名は各右慰藉料金一〇〇、〇〇〇円づつ及び相続財産請求金の内金各一〇〇、〇〇〇円づつの合計二〇〇、〇〇〇円づつ並びにこれらに対する訴状訂正申立書陳述の翌日である昭和三一年一一月三日以降年五分の割合による遅延損害金の支払を本訴において請求すると述べ、被告の仮定抗弁に対し労災保険金として遺族補償費二七七、七七〇円及び葬祭料一八、六六六円を受取つたことは認めるが、被告主張のように右金員は慰藉料及び得べかりし利益の全部を含むものであるということは争うと述べ、

立証として甲第一号証、同第二号証の一ないし四、同第三、四号証を提出し、証人梅垣義雄、横井栄、松本寿雄、亀山嘉博、森田猛、久安良の各証言及び原告本人前川八重子の尋問の結果を援用し、乙第一号証の一、二は被告会社が本件自動車を撮影したものかどうか不知、乙第二号証の成立は認めると述べた。

被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、

答弁として、訴外前川忠臣が株式会社丸三屋に勤務していたこと、昭和三〇年三月一五日に死亡したこと、被告会社所有の貨物自動車(香一一一二八〇号)を修理のため原告主張の日時、その主張の場所に停車してあつたこと、原告等と右忠臣との身分関係がそれぞれその主張のとおりであることはいずれも認めるが、その余の事実はすべて否認する。

昭和三一年二月一四日午後三時頃被告所有の前記自動車を被告使用の運転者真田秀夫が運転中故障のため運転不能となつたので修理のため原告主張の場所に停車し主張のとおり亀山嘉博に修理を依頼したが、バツテリーの故障のため同人方では修理不可能とのことであつたが日没となつたのでそのまま駐車してあつたものである。そして該自動車を置いてあつた国道は幅員約八米余りあり、その西側路面に琴平参宮電鉄の軌道を敷設してあるがその東側軌道と道路の東端までの道路の幅員は約六米あり、該自動車と軌道との間も約四米あるので自動車は充分通行できるのみならず被告会社の該自動車にはその後部に螢光塗料で「吉田石油」と大書してあつたので夜間でも相当遠方よりこれを見ることが可能であつた。然るに忠臣は当夜午前一時頃酒気を帯び陸王号と称する二輪自動車に乗車し該国道上を北より南に疾走していた模様であり、この陸王号という二輪自動車は三五〇ccで最高速度は一二〇粁であつて当時忠臣は深夜のことゆえ相当超速度で驀進していたものでないかと推定される。そして被告会社の駐車していた貨物自動車にはその後部にも側面にも他車が衝突又は接触したものと認められる痕跡は全然ない。すなわち忠臣の乗つていた二輪車が該貨物自動車に衝突したものであればその痕跡が認められる筈でありその場において同人が顛倒する筈であるのに忠臣が倒れていた場所は被告会社の駐車していた自動車より約四〇米も南方の軌道上で重量約一四貫の乗用車の下敷となつて仰向けに倒れていたのであるから同人が該貨物自動車に衝突又は接触したものでないことが明らかである。従つて被告会社の貨物自動車の駐車と前川忠臣の顛倒死亡との間に何等の因果関係がない。

仮に被告が自動車を置いてあつたことに本件事故の原因があつたとしても、それは前川忠臣が前記の通り酩酊して超速力で運転したため本件自動車の駐車に気が付かなかつたという重大な過失に比べれば被告の過失責任は微々たるものであり、加えるに既に原告等は労災保険金として遺族補償費二七七、七七〇円、葬祭料一八、六六六円の支給を受けており、右労災保険金は相続人全員が損害補償として受取つたものでありその中には得べかりし利益は勿論慰藉料も含まれているから、被告は原告等に対し損害を賠償する余地がないと述べ、

立証として乙第一号証の一、二、同第二号証を提出し、証人亀山嘉博、鷲塚政光、横井栄、吉田三治の各証言及び検証の結果を援用し、甲第三号証の成立は不知、爾余の甲号各証の成立は認めると述べた。

理由

被告会社所有の貨物自動車(香-一二八〇号)を修理のため原告主張の場所に停車してあつたこと、訴外前川忠臣が昭和三〇年三月一五日の午前一時ないし二時の間に、自動軽二輪車に乗つて右被告会社貨物自動車の駐車していた道路を走つていたこと、同人が死亡したことは当事者間に争がない。そこで右前川忠臣の死亡が被告会社所有の貨物自動車との衝突に基因するものか否か判断する証人梅本義雄、横井栄、亀山嘉博、松本寿雄、鷲塚政光の各証言並びに当裁判所の検証の結果によれば原告主張の道路上の東寄りに駐車していた被告会社所有の右貨物自動車の車体の後部右端の直下の辺りから斜右前方に向つて右前川忠臣が自動二輪車諸共倒れていた処まで約二三米にわたり被害者が乗用していた右二輪車の金具の一部と思われるものが地面にすれて巾二糎位の細いスリツプ状の跡を残していること、右忠臣は左前腕骨が皮下骨打し前頭部と前額部、右前腕部に打撲傷を受け結局脳底骨打により死亡したものであることがそれぞれ認められる。而して右事実によると訴外忠臣は当日国道を自動二輪車に乗車して相当速度で道路左側(東側)を南進してきたところ、偶々東側に置いてあつた被告会社所有の該貨物自動車にその直前に接近するまで気付かなかつたので、やにわにハンドルを右にかわしたが及ばず右貨物自動車の車体の後部に同訴外人の身体の一部が激突し、そのまま該自動二輪車に引づられてそこから二三米離れたところまで行つて自動二輪車の横転とともに俯伏に倒れ結局脳底骨打により死亡したものであることが推認される。

そこで本件事故が右訴外真田秀夫の過失によつて生じたものであるかどうかについて判断するに成立に争いのない甲第二号証の二、三と証人亀山嘉博、同梅垣義雄、同横井栄、同松本寿雄の証言によれば右訴外人は事故発生の日の前日である昭和三〇年三月一四日午后三時頃被告会社所有の前記貨物自動車を運転中故障して動かなくなつたため他車に索引してもらつて自動車修理業亀山嘉博方前まで来てその修理方を依頼したところ、バツテリーの故障により同工場では修理不可能にて、近くの西谷電気店を教えて呉れたが、高価なものなので、被告会社に相談した処、多度津の得意先で修理するということであつたが、多度津までは再び他車に牽引して貰わねばならず、折から夕刻となつたため右自動車を原告主張のように何等の標識燈も施さず(なお被告は右自動車には螢光塗料で「吉田石油」と大書してあつたから夜間でも相当遠方からみえた旨主張し、証人亀山嘉博、同吉田三治の証言並に右吉田の証言により本件自動車の写真であると認められる乙第一号証の一、二を綜合すれば右自動車の車体後部に左より横書きで嘗つて白ペンキで「吉田石油」と書いてあつたが螢光塗料が市販される様になつた時桃色の螢光塗料で前の文字の上をえどつて書いたことが認められるけれども他方証人梅垣義雄、同横井栄、同松本寿雄の証言によれば本件事故発生直後現場に行つたこれら警察官には右自動車の車体に書かれている文字は白色のペンキで書いたものの様にみえ、ライトを当てた際ピカピカ光つた様な記憶はない旨証言している処よりみれば、前記白色ペンキで書いた上を螢光塗料でえどつて書いた「吉田石油」なる文字は被告が主張する様に夜間でも相当遠方からみることができたという程のものではなく、この程度の標示では夜間通行人の注意を喚起させるに充分とは云えないと考える。)右道路上東側に一杯寄せて置いたままにしていたことが認められ、検証の結果によると右地点における国道の幅員は西端の琴平参宮電鉄株式会社の軌道を除いた東側のアスフアルト鋪装部分は四・四五米であり、右自動車の駐車のため残りの鋪装部分は約三米しかなかつたことが認められる。そうすると故障した貨物自動車の如き通行の邪魔になる物を前認定のような状況の下に人車の通行する道路上に夜通し置くことは本件のような事故が発生する危険は予測できるのであつて右訴外人として附近の空地に入れるか特に前方より目のつく程に標識燈をつける等何等かの措置を講じてこの危険発生を未然に防止すべき注意義務があることは勿論でありそのような手段をとりうる時間的余裕もあつたのであるから右訴外人が前認定のように貨物自動車を道路上に置いていた結果遂に本件事故を惹起したことは前記注意義務に違背したものであつて過失の責を負うべきものといわねばならない。

つぎに本件事故につき被告の損害賠償責任如何を按ずるに被告は石油販売の業務を営む株式会社であり訴外真田秀夫は右会社の使用人であることは被告の認めて争わないところであり成立に争のない甲第二号証の二によれば事故発生の日の前日も右訴外人は被告会社の業務のために該自動車を運転していたところその故障が生じたものであり、前記修理工場で修理不可能となつた時もその旨被告会社に連絡してその相談の結果被告会社の多度津の顧客先で修理するということになつたので帰社したものであるから本件事故については被害者に対し前記不法行為につき民法第七一五条所定の損害賠償責任があること明らかである。

更に進んで本件事故によつて生じた損害の数額について検討するに、証人久安良の証言により真正に成立したものと認められる甲第三号証に、同証人及び証人森田猛の各証言並びに原告八重子本人尋問の結果を綜合すると、右忠臣は身体健康であり株式会社丸三屋善通寺営業所長として同会社に勤務し俸給は月一〇、〇〇〇円の支給を受け他にも宿直手当等が加わつていたこと、更に同人は田二反八畝、畑一反を有し農繁期には会社を体んでこれを手伝うていたのでその農業収益は原告主張のとおり少くとも年三〇、〇〇〇円はあつたものと認められる。

そして成立に争のない甲第一号証(戸籍謄本)によれば訴外前川忠臣は大正一四年一月七日に出生し、本件発生当時満三〇才であつたことが認められ、健康な満三〇才の男子の余命年数が三八・一〇年であることは当裁判所に顕著であり、従つて同人が将来前記株式会社丸三屋を退職したであろうような特段な事情の認められない本件においては、同人は右余命の範囲内である満五五才に達するまでの二五年間は右会社に勤務し得たものと推認するを相当とする。而して右忠臣の生存予定年間における一ケ年間の生活費は月五、五〇〇円として計算すると六六、〇〇〇円であることも亦当裁判所に顕著であるので右忠臣の前記得べかりし収入金は各年間収入金一五〇、〇〇〇円より各当該年間の前記生活費金六六、〇〇〇円を控除し、更にホフマン式計算法により一年毎に中間利息年五分を差引き事故当時における一時払額に換算すると金一、三三八、三七二円となるから右金額が忠臣が右事故により得べかりし利益の喪失による損害額ということができる。

そこで更に本件事故について被害者忠臣自身にも過失があつたか否かにつき考えるに証人梅垣義雄、横井栄、亀山嘉博、吉田三治、鷲塚政光、久安良の各証言並びに当裁判所の検証の結果を綜合すれば、本件事故発生現場附近の国道は幅員八・三米あり西側には巾三・一五米にわたり琴平参宮電鉄株式会社の軌道が走つているが、その東端に置いていた被告所有の該貨物自動車の占めるところを除いても最少限度三米近くの巾はあるから他車の通行に差支えない状態であつたこと、そしてその附近は南北とも約一、五〇〇米位は一直線に見透せる場所であり該道路はアスフアルトで鋪装され路面には凸凹もない状態であること、深夜とはいえ見透しが全然きかないことはなく、通常の注意をしておれば該貨物自動車のように大きいものを前方にて発見出来ない筈はないこと、当時訴外忠臣は坂出市にある株式会社丸三屋の本社を昭和三〇三月一四日午后九時前に訪れ、用務を終えた後訴外久安良外一名とともに飲酒し、翌日零時頃に同社を出て常用の軽自動二輪車陸王号(三五〇cc)に乗車して帰宅の途についていたものであり、事故発生直後現場にかけつけた人たちに右忠臣は酒の匂がしていたことや負傷箇所に鬱血が非常に多かつたことから或程度酒気をおびていたこと、警察官の間では前川忠臣はスピード違反を何回もしているという風評があつたことが認められ、以上の各事実を綜合すれば前川は飲酒の上相当のスピードを出して走つていた為め普通ならば当然前記自動車の存在に気付く筈の処、衝突寸前までこれに気付かず、これにぶつつかつたという被害者側の過失のあることも認められ、然もその程度は加害者のそれよりも相当重く両者の過失に関する前記認定の各事実を比較するとその度合はほぼ加害者一、被害者九の程度と解されるからこの点を斟酌すれば被告会社の前川忠臣に対する損害賠償額は一三五、〇〇〇円が相当であると考える。原告八重子が右前川忠臣の妻、その余の原告は忠臣の子であることは当事者間に争のないところであるし、前記忠臣の被告会社に対する損害賠償請求権を原告八重子は金四五、〇〇〇円、その余の原告三名は金三〇、〇〇〇円宛を相続により承継取得したものと認める。

ところで被告は労災保険金により支払つてあるからこれで損害賠償額の支払済である旨主張するが労働者災害補償保険法(以下労災保険法と略称する)による保険給付は事業主の負担すべき労働基準法所定の災害補償を国家のいわゆる社会保険の一環として事業主の経済的負担の軽減を図り労働者に対する迅速且つ適正な補償を確保するためのものに過ぎず右災害補償はその性質において民法上の不法行為における損害賠償と軌を一にするものではなく本件のように使用者については民法上の不法行為の要件を具備する場合はその責任が併存すると解すべきであつてただ同一損害について二重に損害の填補をさせる不合理を解消するため、労働基準法第八四条第二項により補償を受けた限度で民法による損害賠償責任を免れうるようになつていることからして労災保険法にはこのような規定がないけれども全く同様に解すべきである。従つて不法行為上の損害賠償請求権は失わないというべきところ原告八重子が労災保険により国家からその所定の遺族補償費として二七七、七七〇円を受領したことは当事者間に争いなくこれは労災保険法第一五条第一項、同法施行規則第一六条第一項に定められた受領権者である原告八重子に対する補償であるからこれによる民法上損害賠償責任の免脱は八重子についてのみ考慮されて然るべきである。よつて八重子に対する得べかりし利益喪失による損害は既に労災保険金の受領により補われていることになるからこの部分の本訴請求は認められない。

つぎに原告等が主張する各自の慰藉料の額について考えるに成立に争のない甲第一号証(戸籍謄本)原告前川八重子本人尋問の結果によれば本件事故当時右忠臣は原告夫婦と子供三人に忠臣の両親計七人家族の原告等一家の生活の中心であり原告八重子を除く原告三名はいずれも未成年者であつたこと、右忠臣の急死にあつて現に田地一反二畝を親戚に預け、農繁期には他人を雇つている等のことが認められ、今後も相当生活が窮迫するであろうことが窺われるので原告等の受けた精神上の苦痛は甚大なものであつたことが明らかであるから、原告八重子の受けた精神上の苦痛に対する慰藉料は二〇〇、〇〇〇円、その余の三名の受けた精神上の苦痛に対する慰藉料は各一〇〇、〇〇〇円を相当とするところ、前記認定のように被害者に相当の過失があるからそれぞれ減額し原告八重子に対しては金二〇、〇〇〇円、その余の原告に対しては各々金一〇、〇〇〇円と認めるを妥当と考える。

而して労働基準法による災害補償は労働者又は遺族に対しその労働力の回復又は生計維持を図るために積極的及び消極的な財産上の損害を填補するためのものであつて精神上の苦痛に対する慰藉までも目的とするのではなく遺族において労災保険法による保険給付を全部受理した場合にもなお右慰藉料の請求をすることができるものと解するから右保険金の受領は原告等の慰藉料額に何等影響しないこと明白である。

よつて原告等の被告に対する本訴請求は原告八重子に対しては慰藉料二〇、〇〇〇円、その余の原告に対しては被害者忠臣の得べかりし利益喪失額の承継分として各々三〇、〇〇〇円及び慰藉料として各々一〇、〇〇〇円、合計各々四〇、〇〇〇円の限度及びこれに対する訴状訂正の申立書陳述の翌日であること本件記録上明らかな昭和三一年一一月三日以降完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各自支払を求める範囲において理由があるから認容し、爾余の部分は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条本文、第九三条第一項本文、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 中村三郎 首藤武兵 長西英三)

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